打楽🐷ぶ〜ろぐ

打楽器愛好者、曲淵俊介の身に日々起きる、打楽器に関する小言

楽譜って必要?

「楽譜が読めないので、音で覚えてきてもいいですか?」

 

これは先日レッスンの中で生徒が言ってきた言葉だ。彼は高校一年生で、入学したものの、初めて本格的な勉強を始めるので、楽譜がうまく読めない。もちろん、楽器は練習したらできるし、中学校では吹奏楽をやっていたので基本的な楽譜は読むことができる。

しかし、例えば小太鼓のソロ(練習)曲など少し複雑なリズム形式になると止まってしまうし、休符が多くなってくると手が固まってしまう(休符の扱いは楽器演奏の中で最も難しい技術...)。

 

最近は動画サイトでも簡単に音源を見つけることもできるし、動画で手元なんかを見ながらどう弾いているかを検証することもできる。

それに、個人的には音楽を楽しむだけなら、楽譜は読めなくてもいいか、読めても最低限だけでいいと思っている。例えば、ギターの弾き語りみたいに最低限のコードの知識があれば楽譜はなくても成立するかもしれないし、民族楽器に楽譜がない(口伝えで継承する)なんてのはザラだし。。楽譜はあくまで記号。理想の音楽を実現するための方法は他にも見つかるかもしれない。

 

ただ、音楽を生業としたいなら話は別だ。

 

なぜなら、少ない時間の中(ここは結構ミソ...)で情報を共有しながら、共演者と足並みを揃えていく必要があるからだ。その為には、同じ楽譜を眺める中で、自分が何を求められているか、出来るだけ早く、そして決然と判断しなくてはならないだろう。

特にこの決然さが、大きく現場に影響するように思う。その為には、技術だけじゃなく、最低限の音楽知識と、読解力を得るための幅広い努力が不可欠だ。

 

かくいう僕も、指導者の立場で言う責務を感じているわけで、実は現在進行系で勉強中。何故なら小さな頃から英才教育も受けていなければ、ピアノやソルフェージュを音大受験に向け本格的に始めたのだって高校半ばに入ってからだった。先生方に相当シゴかれたものの、音大に入学してからもエリート達の集団にはとても立ち向かえる筈はなく、永遠の劣等生だった。だからこそ未だに続ける必要がある。

ただ、今は劣等感はない。

僕は天才じゃないからこそ、やりたい事、やるべき事が一生分あるんで、劣等感を持つ時間がなくなったみたいだ。そして先輩方(ここでいう先輩って、年齢の話じゃなくて、リスペクトの問題。自分にないものを持っているかどうか、の方がよっぽど僕には重要)から学ぼうという気持ちが、日々の充実を作っている。

 

まだまだ足りない知識、足りない読解力、足りない判断力。足りない指導力

本番の度に、レッスンの度に、一つ勉強をして小さな奇跡を起こせるか。。

僕にとっての生きがいがそこにある。

 

そうでした。僕が初めて打楽器を始めた中学校の入部届にでっかく「吹奏学」って書いて、笑われて先生に訂正させられました。

そんなやつが音楽を仕事にする。

人生ってわかりませんな。

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