打楽🐷ぶ〜ろぐ

打楽器愛好者、曲淵俊介の身に日々起きる、打楽器に関する小言

プロってなんなんだ!?

先日、数年前から専属でトレーナーをやっている、とある一般吹奏楽団のアンサンブルコンテスト団内オーディションの審査を急遽行うことになった。

 

このご時世、彼らも半年ほど活動の場を断たれ、毎年の吹奏楽コンクールも無くなり、練習をすることさえできない日々が続いていたという。今もホームの練習場は人数制限の為使うことができないままだ。

 

ブランクもある中で、合奏個人どちらも練習時間が取れないこともあり、参加グループは打楽器とフルートの2団体だけであったが、本番は2団体共に全身で音楽を表現した名演だった。スタジオいっぱいに、最後の一音まで響き渡った。

 

僕はあちこちで沢山の、趣味で音楽を楽しむ仲間たち(しかも超センスいい。。)に恵まれていて、毎年沢山のコンサートを一緒に作るのだが、今年はどれも全て白紙になってしまっていたので、その方々に(他のみんなは元気かなあ)お会いできたのが、大体8ヶ月ぶりくらいだった。

 

やはり純粋に心から楽しんでいる音楽を浴びるのは気持ちがいい!

 

職業として音楽を演奏する中で、時には心から楽しむ感覚を失いそうになるときもあるかもしれない。そんな時に初心に返してくれる大切な皆さんに感謝しなくては。。。

そして僕はもっと勉強して、アドバイスしてあげられることを一つでも増やしておこう。

 

僕は個人的にプロ、アマという表現が苦手で、(便宜上、音楽で生活するという説明の意味で使用する以外は)あまり使うことがない。というか違いを言葉で言えないので、使い方が分からないというのが正しいか。。

ただ、演奏に留まらず、プロという言葉に対する個人的な美学は持つようにしている。

 

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プロというのは他者に対して、必ず一つの奇跡を起こせること。

 

 

これは、昔お世話になった僕の大尊敬するパーソナルトレーナーの言葉だ。彼は殆ど毎日のレッスンで、僕の身体を音楽が表現できる身体に変えてくれた。毎日どこかが少しずつ変わっていく感覚。

 

僕はその頃、毎日楽器練習する度に自分の変わっていく身体に感動した。

 

彼はそれを奇跡と呼んでいた。奇跡は「決して起きないもの」ではなく、どこにでもありふれていて、チャンスがある人に訪れる。プロとはそれを気付かせてあげられることなのだと。

 

僕はこの言葉を、今もとても大切にしている。

例えば、もし中学生や高校生が同じ曲を半年、一年間と練習に熱心に励み、年に一回の本番で聴衆に大きな感動を与える場面に出会う時、彼らは(彼女たちは)プロだなあ!!、と感じるし、逆に、もし仮に職業演奏家が粗雑な気持ちで毎日本番に向き合うような事があったとしたら(もちろんそんな人はいないけれど!)、それはプロではない、と感じるのかもしれない。

 

打楽器を初めて18年、僕はまだまだ修行の身だ。今日は奇跡を起こせた!よっしゃ!と感じる時もあれば、今日は残念だったな。。トホホという時も沢山ある。

身の周りに沢山いる「プロ」に日々学びながら、僕も最高の「プロ」を目指して。

 

さて、いい演奏を聞いたし、来年は皆とまた演奏会企画して、意見出しあって、練習して、楽器作ったり、お酒呑んだり、ウッシッシ。。楽しみが増えた!!

 

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茨城の方が作った僕の絵を、山梨の方がステッカーにしてくれた。売れないグッズだがチョー嬉しい。